人生はテストではない
多くの人が人生は試練の連続だと思っています。
困難な体験に直面するとき、私たちは試されているのだから、それに打ち勝たなくてはいけないと思ってしまいます。
その理解に基づいて、試験に失敗したら自分を叱咤し、受かれば自分をほめるのです。
このテストされているという考えは、学生の頃からの経験からきています。
そして学生という概念も、後で学んで身につけたものです。
なぜなら、子どもたちはこの星に生まれてくるときに、自分は学生でテストに受からなくてはいけないから勉強しなくてはなどという考えはもっていなかったはずです。
赤ちゃんは、目をぱっちりと見開き、心のままに自分を表現したくてたまらないのです。
子どもたちは歩くことを学ぶとき、他者から与えられたテストだとは思いません。
そんな考えは心の迷いにすぎず、赤ちゃんはまだそんな迷いを身につけていません。
子どもは転んでも起き上がります。
その過程は、問題ではなくゲームなのです。
いつも試験されていると思うより、人生は冒険だと思うほうがずっとわくわくするのです。
生徒は試験されます。そして一般的には、合格者とは試験に合格した人と定義されます。
しかし、もっと正確に言えば、合格者とは、試験されているという観念を超えた人のことなのです。
私たちも合格者になりたいのなら、試験という観念を超えるという試験に受からなくてはいけないのです。
試験という認識が出てきたときには、
誰が試験されているのか?
誰が試験を行っているのか?
と、問いかけてみるといいでしょう。
ごく普通の答えは、私が試験されているのであり、神あるいは、人生が私を試験しているとなります。
ある程度よく考えてみると、そうした観念は二次元的な構造をもたらすことがわかります。
神が私を試験していると思うのは、神は自分の外にあり、自分は弱く、試験され、失敗を恐れることを決めてかかることになります。
私たちは、神と競うことなどできないのです。
それは、神が私たちより偉大だからではなく、神が私たち自身と一体だからです。
私たちは、叡智と力に満ちた神と一体なのです。
私たちの本質は愛であり、愛は試したりなどしないはずです。
愛は人に祝福を与え、祝うものです。
何か明らかにテストだと思われるものがやってきたら、これは限界があるという夢から覚めるチャンスだと思い直すことです。
そして、この体験が自分の聖なる本質を思い出す手助けとなるには、どう受け取ったらよいだろうか?
自らの完全さを受け取った人なら、これをどんなふうに見るだろうか?
と問うのです。
すると、途端にテストは神の恵みとなるでしょう。
あなたはそれに合格するのではなく、ただしっかりと受け止めればいいのです。
すべては、自分自身をより愛するための誘いなのだから。
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